当社創業者堀江健二(現相談役)は、今から約60年前、当時の製造企業様向けに「流通設備」という機関誌を発行していました。テーマは「大量生産から多品種少量生産へ移り変わる生産現場、物流現場の変化とあるべき姿」です。当時、日本の企業は「高度成長期の大量生産」から「日本特有の市場のニーズから生まれた多品種少量生産」に変わる中、ムダを徹底的に排除して生産効率を上げていくことに注力し、これによってコスト競争力を持たせようとしていました。
機関誌「流通設備」では、例えば「10個作ることも1個作ることも同じコストで作るにはどうしたらよいか」。それには「一人が一つの役割で作業を受け持つスタイルではなく、一人が多能工として複数の工程を受け持つことで省人化を図り多種少量生産を可能にする仕組み」さらにはそれを「誰もが出来るようにするにはどうしたらよいか」の具体的方策の立案をしていました。
この機関誌を見て相談を頂いたのが当時成長著しい日本を代表する自動車メーカーの担当責任者の方でした。頂いたテーマは、「増え続ける自動車補給部品の効率的管理」。当時相次ぐ新車の生産と販売に一台8000点から10000点と言われる補給パーツの複数車種複数年管理は自動車メーカーの最大の悩みのひとつだったのです。
「保管7原則」に基づく物流倉庫のレイアウト設計そして自動車部品専用の管理棚作りが始まりました。ジャロックの前身である日本ロークリマティックス工業の誕生です。
そしてその時から現在まで約60年、私たちはどっぷりと自動車産業をはじめとする物流現場、製造現場に浸かっているのです。